くみやすのブログ

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ナマケモノだってリスクとって生きてる

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 2019年10月31日、朝ニュースを見た夫が「…え?」と声をあげました。急いで私もテレビを見ると、そこには首里城が炎に包まれている様子が映っていました。一瞬固まって、その後すぐに思い出されたのが熊本城のことでした。

 

 2016年4月、ちょうど私は熊本にいました。14日、1回目の地震の後は散らかった部屋を軽く片付けて床につきました。16日、2回目の地震は予想外で、「危ないかも」と思い外へ避難しました。その日は車の中で眠りました。

 翌日は家の中に入らず、近くの公園で過ごしました。トイレは大渋滞でした。さらに断水していたため、何十人もの排泄物が便器のなかにたまっており、個室の中は鼻が曲がるほどの異臭がしました。

 1週間ほどたって、ふと考えたことがあります。

 

 あの瞬間、同じ時間に亡くなった人がいる。

 

 ということです。

 

 

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している

 この言葉は村上春樹さんの「ノルウェイの森講談社文庫)」の中にあります。

 地震以来、時々思い出します。私はたまたま生き残ったんだ、と。そして、私はあっけなく死んでしまうかもしれない、と頻繁に考えるようになりました。

 私は、私が生きていることに意味はないと考えています。一方で、私がいなくなることにも意味がないと考えています。私が生きていても死んでしまっても、世界はほぼ変化しません。周囲の人が悲しむくらいです。ただ、生き物として生き延びる努力はするものだ、とも思います。もし水の中に放り込まれたら必死に水面を目指します。

 

ナマケモノの生き方

 もしかしたら聞いたことがあるかもしれませんが、ナマケモノは排泄のために数週間に1回木を降ります。地上には天敵の肉食獣がいるにもかかわらず、木の根元まで降りて行って排泄します。実は、この行為はとても意味があるんです。

 ナマケモノの生息する熱帯雨林は土壌の栄養が乏しいです。火災等で森林が失われるとあっというまに砂漠化してしまいます。そのため、ナマケモノの排泄物は木にとっての貴重な栄養源になります。天敵に襲われるリスクを負って、住処の木を守っているわけですね。

 参照:「LIFE 人間が知らない生き方」麻生羽呂・篠原かをり(文饗社)

    「続々ざんねんないきもの辞典」今泉忠明高橋書店

 

私はどう生きるべきか

 私も何かしらのリスクを負いながら生きていますが、生き物として生き延びるためにはなにをすればいいでしょうか。

 まず、日本に住む以上は地震への対策は不可欠です。数日分の水・食糧の準備、避難場所の確認などすべきことはたくさんあります。

 次に、健康を維持することです。様々な栄養を摂取し、適度な運動と睡眠。ストレスを溜めすぎないことも重要です。

 人とのつながりを維持すること。困ったときに助けてくれる人は必要です。いつか助けてもらうために、こちらから助けてあげたほうがいいです。人にはできるだけ親切にします。

 勉強し続けること、そしてお金を稼ぐことも大切です。まあ、大切なことは山ほどありますけど、こういったことを意識することが何より大切ですよね。

 

 

 

 

 思ったことをつらつらと書いただけなので、まとめ方が分かりません。笑

 ニュースを通して知る悲しい出来事が、どうも他人事とは思えなくなって、考え事の深い海に潜ることが多くなりました。なので文章として残すことはいいことです。(脈絡はないど)