最近、電車に乗る機会が多い。iPhoneの電池の減りが異常に早いので、なるべくiPhoneは見ない。ぼぉっと窓を眺めたり、車内を見渡したりしている。電車に乗っている人は
5:2:2:1=携帯を見ている:ぼぉっとしている:本を読んでいる:寝ている
ような気がする。昼間なので寝ている人は少ない。
私は、どちらかというと少数派のほうに居たい。理由は分からないけど、前からそんな感じで生きてきた。(生活に支障がでない範囲での少数派)だから、大多数の人がしているように電車の中で、イヤホンして携帯いじるのはしたくない。理由はもちろんなんとなく。携帯いじるといっても、ただゲームしてるだけかもしれないし、ニュースを読んでいるのかもしれないし、勉強しているのかもしれない。勉強するなら学生みたいに単語帳を開きたい。ニュースを読むならかつてのサラリーマンのように新聞を広げたい。けど、それはちょっぴり恥ずかしいので、私は本を読みたい。
ここで問題がひとつ。私の本はカバーがかかってない。書店でもカバーは要りませんって言う。おしゃれなブックカバーも持ってない。カバーかけるの面倒。必然的に題名も表紙も丸出しの状態で読むことになるけど、それはそれで抵抗感がある。どうしたもんかね。
この前、中学生の子が電車内で本を読みふけっていた。同じ駅で降りたのだけど、その子、歩きながら本を読み続けていた。歩きスマホはだめだけど、歩き本も危険だからやめたほうがいいんじゃないかな。最近は二宮金次郎も座ってるらしいし。でもね、なんか微笑ましいよね。私も小学生のとき本を読みながら下校していて電柱にぶつかったことがある。
周りの目なんか気にせずに、題名表紙丸出しで読もうかな。「あら、あの人知的だわ」なんて羨望のまなざしで見られたい。「知的だわ」と思われるちょうどいい本は…私の本棚にあったかな。というか、なぜ私は電車で本を読まないといけないのだろうか。「知的だわ」と見知らぬ誰かに思われるためか? それって本来の読書の目的から外れているのではないだろうか。
そんなことばかり考えて、結局今日も電車の中でぼぉっと過ごしてしまった。