料理も掃除もとても面倒と感じるのですが、結局そこが綺麗にできていると心地よいですよね。
お店に入ってもトイレが綺麗だと、外見が多少くたびれていてもいいところだなと思えますもんね。
毎日過ごしている自宅ならなおさら、綺麗で、清潔な状態で過ごしたいです。
なにより癪なのが自分の髪の毛。さっき掃除機かけたのに、床を見ると長ーい髪の毛が1本…。
朝、ドライヤーで寝癖を直して洗面台を見ると髪の毛が散らばっている…。(しかも濡れているので触りたくない)
そして段々と気になってくるのが水垢。
お風呂って、洗ったら洗ったで水滴の跡が残りませんか。換気扇まわして、窓を開けていても残ります。拭き取らないといけないのかな。
いくら拭き取って綺麗にしても、どうせ夜には濡れるしなあ、と思って結局しないのが私。
父方の祖父母はとてもきちんとした人で、毎日の決まり事を大切にしています。
毎日早起きして、畳を固く絞った雑巾で拭いています。祖父母の家はいつ行っても綺麗で片付いています。
週に3回は近所のプールで運動しますし、毎日趣味の俳句や楽器を練習してます。足を悪くしてからは決まった日に必ずリハビリに行きます。
私は、「毎日これをするぞ!」と決めても必ずどこかでサボります。一応、途切れ途切れながら続きはするんですけど、1日も休まずに、というのは達成したことがないです。
祖父母はもともと真面目な(言い方を変えると、固い)人なので、道を決めたらやり遂げる!って感じです。礼儀にも厳しかったので幼い頃は怖かったです。(最近はだいぶ緩くなっている)
でも、大人になってからは尊敬するんですよね。祖父母の時代というと、戦後〜高度経済成長くらいで、仕事仕事仕事!といった風潮です。祖父の働いてたころの話を聞くとびっくりしますもん。いつ休んでいたのか分からないし、胃潰瘍なんてしょっちゅうですよ。
ただ、その頃の人のほうが、「やり遂げる」力は私たち世代よりあるのかな、と思います。もちろん人によりけりですけど。
どうして今は一つのことをやり遂げるのが難しく感じるんでしょうか。ちょっと考えてみました。
たぶん、一番の原因は情報量だと思います。
テレビ・雑誌・インターネット、ありとあらゆるところで「賢いお金の貯め方」だの「楽な生き方」だの「愛されるためには」だの「子育ての方法」だの、正しい方法たくさんがありますから、逆に何がベストなのか分からなくなり、一つのことに集中することができなくなっているんです。
「この方法でやっていくぞ!」と決めても、ちょっと時間が経つと不安になり、携帯で調べると、もっといい方法を発見。「今度こそ、うまくいく方法だ!」と決めても、また時間が経つと不安になり…と永遠にループします。
情報が少なければ、一つベストだ、と思った方法しか知りませんから、ある程度結果が出るまで貫けるのではないでしょうか。
情報が少ない時は、ある意味自分の根性との勝負ですが、情報が多い時は、より良い(ように感じる)方法との勝負ですもん。そりゃ流されますよね。
ということで、私に必要なのは、あえて情報をシャットアウトすることだと考えています。遠回りで非効率なやり方だったとしても、自分に合っていれば長続きするものですよね、きっと。
散らばった髪の毛を見つけるたびに掃除機かけてもいいし、夕方4時過ぎにお風呂の水滴を拭き取ってもいいんですよ。
思い立った時にするのが一番私に合ってるのだ!