くみやすのブログ

くみやすの日常や考え事を書くブログ

ピカチュウが人間の言葉を話すことを、どうしても許せない、という話

 「名探偵ピカチュウ」のCMを見て、私は絶対にこの映画を見ない、と決めた。こんなのポケモンじゃないと思ったから。

 

 以前、こんなことがあった。テレビをつけたら、「劇場版君に決めた」の放送があっていた。もう最後のほうで、なんとなく見ていたら、ピカチュウがサトシに話しかけているシーンがあった。(正確には話しかけているというより、心の声が聞こえたか、そのようにサトシが感じたということだろう) そのとき、心の中が沸騰するような、怒りのような、悲しみのような、そんな気持ちになった。この映画を作った人は、なぜピカチュウを喋らせたんだ、と思った。そして、もうポケモンは私のものではなくなってしまった、と思った。

 別に、私はポケモンマニアではない。小学生からポケモンのアニメ・映画を見て、ゲームをしていた。ときどき漫画も読んでいた。次に出るゲームの題名は何だろうか?と友達と予想しあっていた。高校生になったくらいから、少しずつ離れていった。大人になってから、自分のお金でゲームを買って久々にプレイした。その程度の「ポケモン好き」である。

 それでも、私なりに、ポケモンには思い入れがある。兄弟でポケモンごっこをしていたら家庭訪問に来た先生にがっつり見られて恥ずかしかったとか、風邪で学校を休んだとき母親に隠れてピカチュウバージョンをしたとか、映画「ミュウツーの逆襲」でボロ泣きしたとか、「♪歩きつづ~けてどこまでゆくの」を全部覚えたとか、思い出がたくさんある。公園の草むらに立って「ポケモンが飛び出して来たらいいのに…」と心の底から切実に考えていた。

 ポケモンの思い出には必ず子どもの頃の思い出がつきまとう。私のポケモンの世界はすでに完成していて、その世界ではピカチュウは決して話さないのだ。ピカチュウが言葉を話すことは私のポケモンの世界のルールに反し、世界を壊すことになる。だから、私は許してはならないのだ。

 

 それで、映画館に「名探偵ピカチュウ」を見にいくことはなかったんだけれども、金曜ロードショーであってたので流し見た。結論から言うと、まあまあ面白かった。私はこの映画のCMに反発していたのであって、映画の内容そのものにはそこまで嫌な気持ちはなかったと分かった。いや、もっと正確に言うと、ピカチュウの元の声が大谷育江さんであったことと、エンディングムービーでこの映画を許すことができた。他にも、主人公にだけピカチュウの言葉が伝わる理由付けがされていて、「誰にでも言葉が伝わるわけではない」ということも大きかった。

 

 大のオトナがピカチュウごときでなにを、て思うでしょう?キモイよね?

 でもね、この感情を、ピカチュウが喋ったときのなんとも言えない気持ちを感じた時、子どもだった私と大人になった私はちゃんとつながってるんだと思ったよ。あのときの、人の目なんか気にしないで自分の世界をもっていて、その中で生きていた私を思い出した。私ね、そういうのね、もう無くしたと思ってたから。そして、このキモイ部分こそが私の根幹なんだなって再確認した。

 

 

 金曜ロードショーがあってから、少し時間がたって冷静になった今は「ピカチュウは話してもいい」と思えている。個人的には嫌だから、目に触れないようにするけど、この世に存在してもいいよ、と思ってる。上から目線でなに言ってんだ、となるけど、ま、個人的な考え事だから許してね。