くみやすのブログ

くみやすの日常や考え事を書くブログ

「十二国記」の新作を読んで

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 「十二国記」を小学生のときにアニメで見て、ものすごく面白い!と感じたのでその後小・中学校の図書館で借りて読破しました。その後も時々思い出しては小説を読んだり、アニメを見たりしていました。

 昨年、待望の新作がでたので早速購入はしたものの、せっかくなのでその前の話を読んでから新作を読もうと思って、先週やっと読み終わりました。(途中で別の本を読んだりしていたので時間がかかった)

 

 十二国記の中でも私は泰麒の話が一番好きで、①本当は異世界の住人②人としての姿と獣としての姿をもつ、というところに中二心を非常に撃ち抜かれて妄想の翼を広げていました。

 設定以外にも、登場人物の高潔なところや政治的な根回し、頭脳戦など見どころはたくさんで大好きな作品です。

 

 昨今では異世界転生ものが流行で、私も好きでアニメや漫画を見ます。とても面白いのですが、物足りなさを感じていました。というか、「こんなに簡単にいくわけないじゃない」と斜め上から見てしまうというか。

 その答えは、えーと、どこの巻だったかな、解説に載ってました。私にとっての異世界転生ファンタジー十二国記が基礎になってます。外国で生活するのですら苦労するのにまったくの異世界にいって苦労しないわけがないです。十二国記ではこれでもか!というくらい主人公たちが追い詰められます。今の異世界転生ものは、だいたい主人公に強大な力や知識などが備わっていて、それで地位だったり信頼だったりを勝ち取っていきます。十二国記でも主人公は王であったり麒麟であったり絶大な力(権力)はもっていますが、信頼はなかなか勝ち得ません。悩みも尽きない。そこが違うのかな。

 どんな権力者、知恵者、武闘家でもただそれだけで人が集まることはなく、あくまでひととなりやともに過ごした時間などで信頼を得て、また成長をしていく。こういったことの掘り下げ具合が違うのかな。

 んー…、今の異世界ものはあまりにも挫折が少なすぎる、と感じるのかな。または挫折して乗り越えるまでの葛藤する期間が短すぎると感じるのかも。(そういうファンタジーが求められているのか?)

 というわけで、「ただ面白い」で終わるのが今の異世界もの、「面白くて」「余韻に浸れて」「心揺さぶられる」のが十二国記なわけです。

 

 プロの作家さんとネット小説がもとの話を比べるのもなんですが笑。私はお話は書けませんよ、もちろんね!

 

 

 またアニメを借りてみようかなー!さすがに続きを新たにアニメにしてくれたりしないかなー。でも声優さんや絵柄が変わってたら見ないかもしれないなー。

 とにかく日常生活に支障がでるほどどっぷり浸っています。語りたいけど共有はしたくない、そんな微妙な気分の今日このごろです。

 

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今さらだけど『BEASTARS』にハマってる


※ネタバレあります。

 

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ビースター「ズ」ってことは、そういうことなんでしょうね?

 

登場人物に一切人間が出てこない作品は好きで、ディズニーの『ズートピア』もお気に入りでした。

ズートピア』でも肉食動物と草食動物が共に生きることへの問題みたいなのが描かれていましたが、『BEASTARS』ではよりシリアスに取り扱われています。

食殺事件なんかも起こりますし。

 

動物のお話なんですけど、人間社会のことを考えてしまいます。日本人・中国人・アメリカ人・金持ち・貧乏・男・女…自分とは違う人間と分かり合うことはできるのか?みたいな。

 

なにより気に入っているのは、草食動物がえらく美人に描かれていること!作者さんは意識しているのかな?主人公が「草食獣は美しい」と感じている肉食獣であることから、より美しく描かこう!という感じで。

 

ズートピア』と少し似ている点は、始めは肉食獣は強くて凶暴、草食獣は弱い、という構図になっているけど、途中から、草食獣の中にも悪どい奴がいて、肉食・草食という枠組みで決めつけるのはどうなの?というメッセージが感じられるところ。

ズートピア』はもちろん平和的に解決しますけど、『BEASTARS』ではそうはいきません。社会は「肉食と草食は別々に」→「異種族仲良く」という方向にちょっぴり変わりますが、主人公は相変わらず悶々としているし、「異種族仲良く」するからこその問題が勃発して…と怪しい雰囲気が。面白いです。

 

ん?と思うところがあって、それは主人公の性格がときどきブレているように感じるところ。言葉遣いのような些細なところなんだけど、「この性格ならこんな言葉使わないんじゃないかな」と思うところが多々ある。強気と弱気が混在した複雑な性格、という設定なんでしょうかね。なんでしょうね。ん?となります。笑

 

例によってこの漫画もレンタルですから、時代には遅れているんですけど、自分で買って集めたいと思える漫画でした。古本屋を巡ってみましたけど、品薄なので人気なんでしょうね。

 

集めようかなー!おもしろいもんなー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漫画「BLUE GIANT」は大人の友情・努力・勝利だと思う

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 こんにちは。今日は漫画「BLUE GIANT」に一日使ってしまいました。このあと勉強して夕食作らないといけませんが、興奮が冷めないうちに文字に残しておこうと思います。

 

 BLUE GIANTを初めて読んだのは夫がレンタルしてきたのをパラパラっと見たとき。絵は、どちらかというと素朴な感じ。けど、迫力がある。

 主人公の宮本大(ミヤモトダイ)がプロのジャズサックスプレイヤーを目指す話です。

 すごく面白かった。だから夫が「漫画集めようかなぁ」と言ったときはチョーおすすめしました。決して自分のお小遣いでは買いません。笑

 

 それでとうとうこの前漫画を買ってきていたので、今日読みました。なんかね…泣きながら読みました。てへ。今日はなんだか感傷的な気分だったのです。

 主人公の宮本大は口が達者なほうではなく、行動で示すタイプかな。ジャンプでいうとナルトとかルフィみたいな。

 ルフィ 海賊王に おれはなる!

 ナルト 言ったことは曲げねぇ!火影になる!

 宮本大 世界一のサックスプレイヤーになる!

て感じですよ。

 で、なんで泣いてしまったかというと、私の人生曲がってばかりだなあと思ったからです。上記3人は、挫折しそうになることはあっても諦めることはないじゃないですか。人生真っ直ぐ進んでるワケです。諦めポイントを人生の曲がり角だとすると、私の人生は曲がり角ばっかり。あれも無理、実力がないから…ってね。そういう凡人の道を進んでいるわけです。

 

ONE PIECEやナルトを読んでいても、そこまで自分を振り返ることはなかったけども、BLUE GIANTだとなぜか自分を振り返ってしまうんですよねー。たぶん、宮本大はどこかにいそうだな、て感じます。いや、いるね。イチロー選手(元選手?)とかそんな感じだったのかなって想像できる。

 

 あと、漫画なんだけども、「行間を読む」ができるんです。必要最低限のセリフ、ということでしょうかね。なんて言えばいいんでしょうねぇ。

 スラムダンクの試合シーンに近いものがあります。(スラムダンクの新装再編版も家にあるんですけど、話が終わっちゃうのが悲しくて未だに最終巻が読めません。)絵だけのシーンでも、そこに至るまでに十分感情移入しているから彼ら彼女らの気持ちが想像できる。

 

 もうひとつ。宮本大が初めて人前で演奏したとき、大恥をかくんです。そこで、私の過去の、人前で大恥かいた記憶がリンクして、「大ーーー私もその気持ち分かるよーーー!」って心の中で叫びました。こういうシーンでは、悔しがる主人公はたくさんいますけど、きちんと恥ずかしがる主人公は少ない気がします。

 息が止まり、カッと顔が火照って今すぐ逃げ出したしたくなる、瞬間。

(マギでもアリババが恥かくシーンありましたね。19巻の練紅覇に「すでに失くした自国のために」と言われるところ。一瞬の間があってカッとなるとこ、すごくリアル)

 

 BLUE GIANTには、少年漫画のようなド派手なバトルシーンや過剰な悲しみの演出は特になく、わりと淡々と進んでいきます。かつて夢があって今は現実を生きている大人が読むと、随所で共感できるところがたくさんあって、感じるものがあると思います。仲間と切磋琢磨して一番を目指す、という方向性はがっつりジャンプです。

 

 はい。ということでモロに影響受けてYouTubeで作業用BGMのジャズを流しながらブログ書きました。この漫画を読んで決意したのは、息子に「大(ダイ)」という名前を付けるのはやめておこうかなということです。

 くみやすは決意で満たされた…!

ナマケモノだってリスクとって生きてる

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 2019年10月31日、朝ニュースを見た夫が「…え?」と声をあげました。急いで私もテレビを見ると、そこには首里城が炎に包まれている様子が映っていました。一瞬固まって、その後すぐに思い出されたのが熊本城のことでした。

 

 2016年4月、ちょうど私は熊本にいました。14日、1回目の地震の後は散らかった部屋を軽く片付けて床につきました。16日、2回目の地震は予想外で、「危ないかも」と思い外へ避難しました。その日は車の中で眠りました。

 翌日は家の中に入らず、近くの公園で過ごしました。トイレは大渋滞でした。さらに断水していたため、何十人もの排泄物が便器のなかにたまっており、個室の中は鼻が曲がるほどの異臭がしました。

 1週間ほどたって、ふと考えたことがあります。

 

 あの瞬間、同じ時間に亡くなった人がいる。

 

 ということです。

 

 

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している

 この言葉は村上春樹さんの「ノルウェイの森講談社文庫)」の中にあります。

 地震以来、時々思い出します。私はたまたま生き残ったんだ、と。そして、私はあっけなく死んでしまうかもしれない、と頻繁に考えるようになりました。

 私は、私が生きていることに意味はないと考えています。一方で、私がいなくなることにも意味がないと考えています。私が生きていても死んでしまっても、世界はほぼ変化しません。周囲の人が悲しむくらいです。ただ、生き物として生き延びる努力はするものだ、とも思います。もし水の中に放り込まれたら必死に水面を目指します。

 

ナマケモノの生き方

 もしかしたら聞いたことがあるかもしれませんが、ナマケモノは排泄のために数週間に1回木を降ります。地上には天敵の肉食獣がいるにもかかわらず、木の根元まで降りて行って排泄します。実は、この行為はとても意味があるんです。

 ナマケモノの生息する熱帯雨林は土壌の栄養が乏しいです。火災等で森林が失われるとあっというまに砂漠化してしまいます。そのため、ナマケモノの排泄物は木にとっての貴重な栄養源になります。天敵に襲われるリスクを負って、住処の木を守っているわけですね。

 参照:「LIFE 人間が知らない生き方」麻生羽呂・篠原かをり(文饗社)

    「続々ざんねんないきもの辞典」今泉忠明高橋書店

 

私はどう生きるべきか

 私も何かしらのリスクを負いながら生きていますが、生き物として生き延びるためにはなにをすればいいでしょうか。

 まず、日本に住む以上は地震への対策は不可欠です。数日分の水・食糧の準備、避難場所の確認などすべきことはたくさんあります。

 次に、健康を維持することです。様々な栄養を摂取し、適度な運動と睡眠。ストレスを溜めすぎないことも重要です。

 人とのつながりを維持すること。困ったときに助けてくれる人は必要です。いつか助けてもらうために、こちらから助けてあげたほうがいいです。人にはできるだけ親切にします。

 勉強し続けること、そしてお金を稼ぐことも大切です。まあ、大切なことは山ほどありますけど、こういったことを意識することが何より大切ですよね。

 

 

 

 

 思ったことをつらつらと書いただけなので、まとめ方が分かりません。笑

 ニュースを通して知る悲しい出来事が、どうも他人事とは思えなくなって、考え事の深い海に潜ることが多くなりました。なので文章として残すことはいいことです。(脈絡はないど)

漫画「ペリリュー−楽園のゲルニカ−」を読んで②

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昨日の記事の続きです。

漫画「ペリリュー−楽園のゲルニカ−」を読んで① - くみやすのブログ

 

✳︎以下、内容に関する記述があります。

 

 

 

 

昭和19年11月24日

地区隊本部の最後の切り込み、そして玉砕。これで指揮をとる人物はいなくなった。兵は散り散りになり、食べ物と水を求めて彷徨い歩くばかり。脱水、空腹、疲労でふらふらになりながらもなんとか一歩、一歩と進んでいく。

 

・主人公の「田丸」と共に行動する切れ者「吉敷」は逃げ損ねた島の子供の助けを借りながらなんとか命を繋いでいく。アメリカ軍にも見つからず、食べ物、水も手に入るとても良い隠れ場所でいっときの安心を得るが、子供の1人が破傷風になってしまう。

せめて子供だけでもアメリカ軍に保護してもらうため、白旗を掲げ、自分たちはその場所を去る。また、飢える日々に逆戻り。

最低な考えだけど、自分たちが生き残ることを考えたら、子供を見殺しにして、自分たちだけで立て籠ればいい。やっと見つけた安全な場所だ。でも、田丸と吉敷、(あと小杉伍長)はそうしなかった。自分たちのいっときの安心よりも、現地の子供の命を優先した。

よかったと思う本当に。子供が助かってよかった。だって戦争に関係ないもんね、巻き込まれただけだもんね。でも私が田丸の立場に立ったら同じことができるかな。…私は弱いから、自分の命を優先してしまうかもしれない。田丸さん…立派だよ…涙。

 

・片倉兵長は冷酷で、命令に忠実な人物。自分の使命は生き残ることではなく、1人でも多くの敵を殺すことだと理解し、粛々と実行している。部下を引き連れ、アメリカ兵を殺し、奪う。規律を守れない者、大怪我を負った者は情け容赦なく切り捨てていく。

しかし、塹壕に立て籠もっているところを狙われて入り口をセメントで埋められてしまう。そこから、2ヶ月生き埋めにされる。9人中5人は餓死してしまう。

片倉兵長が、助け出されたあと。意識朦朧としながらも島田少尉に言った言葉が「自分の身体が生きたがっているのを知ってしまった。自分はもう死ぬのが怖い」

 

ジリジリと死が迫ってくるのをただ感じ、動く気力もない、そんな状況になったらどうなるのかな。怖くて怖くて仕方がないよね。想像もできないよ。自分の死なんて怖くない!という感じだった片倉兵長が、あんな風になってしまうんだから。

 

アメリカ兵は、殺した日本兵の口を裂き、金歯があればそれを持ち帰っていた。一方日本兵も、殺したアメリカ兵を見せしめのように木に磔にした。死者を悼むことはない。憎い敵なのだから、相手は同じ「人間」じゃないんだから。

 

 

ここまでが4〜6巻。漫画はまだ続くけれど、私はレンタルコミックなのでここまでしか読んでない。

 

ゲルニカ』(Guernica)は、スペインの画家パブロ・ピカソがスペイン内戦中の1937年に描いた絵画、およびそれと同じ絵柄で作られた壁画である。ドイツ空軍のコンドル軍団によってビスカヤ県のゲルニカが受けた都市無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)を主題としている。

Wikipediaより引用)

 

グロテスクな表現は少なめなので、もし興味があれば読んでみてほしいです。精神的にはかなりくるので、落ち込んでいるときは避けたほうがいいです。

 

 

漫画「ペリリュー−楽園のゲルニカ−」を読んで①

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武田一義さんの漫画「ペリリュー−楽園のゲルニカ−」を読んだ。私は1〜6巻まで、寝る前に読んでしまい、眠れなくなった。読んだのは2日前だけど、未だに感情を揺さぶられている。

舞台は昭和19年、太平洋戦争末期のパラオ諸島南部にある島、ペリリュー島。主人公は漫画家志望の田丸一等兵。ちょっぴり気弱でお人好しな、どこにでもいそうな若者。

 

✳︎以下、内容に関する記述があります。

 

 

 

 

 

ペリリュー島には約1万人の日本兵が配置され、与えられた作戦は「徹底持久」。平たく言うと、「できるだけたくさん敵兵を殺して死んでくれ」というもの。

本部の一番偉い大佐のセリフ「戦いが始まれば兵は減る、現在1万人での備蓄の計算など無意味と思え」から、1人でも多くの生存者を残そう、なんて考えは見えない。

 

・1巻の中盤から本格的にアメリカ兵との戦闘が始まる。とてもじゃないけど対等とは思えない。明らかに兵の数は足りないし、劣勢間違いなし。なんとか第一波は耐え凌ぐけど第二波からは散々。そこから主人公や日本兵たちの逃げ惑う日々がはじまる。たぶん、この漫画の本番はここから。

 

・ここからは本当に悲惨。水と食べ物を得るために死に物狂いになる。仲間をおとりにし、見殺しにしてやっと少しの水と食べ物を手に入れる。

印象に残るのは、仲間が銃で撃たれてバタバタと死んでいくときに描かれる虹や星空。人間が戦争していようが平和に暮らしていようが、自然は変わらずにそこにある。虚しさで胸がきゅんとなる。

 

・「持久に徹すべし」残酷な作戦。頼れる島田少尉が「いっそのこと全員で敵陣に切り込めたら」とこぼすシーンがある。玉砕も自決も許されず、いつ来るか分からない反撃のチャンスのために生き続ける。…なんて言ったらいいかわからない。もう敵は飢えと渇きなんだよな。

物資が尽きようが、どれだけ兵が死のうが「あくまで持久に徹すべし」

 

・大佐が亡くなるシーンは堪えた。本部にいる兵ももう餓死一歩手前で周りにぶんぶんハエがたかっている。大佐が兵たちに玉砕を伝えたときは、兵たちも思わず「もう死んでもいいのか」とこぼしてしまう。

 

 

ここまでが1〜3巻。登場人物たちは3頭身のかわいいタッチで描かれているけど、内容は刺さる刺さる…。今日は遅いのでまた明日続きを書きます。

バッタを倒しにアフリカへ、の感想

前野・ウルド・浩太郎さんの「バッタを倒しにアフリカへ」を読みました。

 

✳︎以下、内容に関する記述があります。

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・子供の頃から「バッタに食べられたい」という夢を持ったバッタ博士が、アフリカで大発生し農作物を食い散らかすサバクトビバッタの防除技術を開発するため、モータリアで四苦八苦するお話。

難しい内容は特になく、博士になることがどれだけ大変か、現地でのフィールドワークでのドタバタ劇、現地の人々との愉快で熱いやりとりなど、とても面白かった。(もちろん、大漁のバッタの写真があるので、昆虫苦手な人は辛いかな?)

 

・研究者として安定の収入を得るまでには大変な道のりがあることを知った。なんとなく厳しいんだろうな、くらいの感覚だったけど、前野さんは実際に無収入に陥るまで追い込まれていた。

日本の、研究者への支援はそんなにたくさんあるわけじゃないのね。どれもこれも期限つき、成果をださねばならない。もちろん当たり前のことだけど、研究って短期間で結果がでるものではないものね。特に前野さんの研究対象は自然界で生き抜く生物なわけで、当然予定通りに行くわけもない。毎年必ず大発生するとは限らないし、たまたま発生しない1年だったら支援は打ち切られて研究できなくなってしまう。前野さんは実際、それで無収入になったわけだし。

でも、そのときの研究所の所長、ババ所長の言葉が染みる。「つらいときこそ自分より恵まれていない人を見て、自分がいかに恵まれているかに感謝するんだ」

 

・一番すごいのは、やっぱり無収入になっても研究を続けた前野さんだと思う。きっとものすごいプレッシャーだったろうな。それだけ追い込まれても「バッタの研究をしたい」と思えたならそれは本物の気持ちなんだろう。幸い、私はそこまで追い込まれたことはなく、ぬくぬくと生活しているので、そのときの前野さんの気持ちを理解することはできない。

そして、文章から察するに、前野さんは明るくて人懐っこい性格のような気がするので、周りの人にたくさん助けてもらえたんだと思う。

 

・最後のほうに前野さんが緑色の全身タイツに身を包み、バッタの大群の前に躍り出る様子が写真で載ってるんだけど…。シュールすぎでしょ!バッタに食べられたい、という夢を叶えるためなんだろうけど。大体、麻とか植物性の繊維で作られた洋服じゃないとバッタは食べないんじゃないの?と思ったり笑

 

文体が明るくて、体験を面白おかしく綴ってあるから、とても読みやすかった。他の著書も読んでみたいと思います。

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

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