人にものを教えることほど難しいことはないです。理由は、人は自分の思い通りにならない・自分と相手の感じ方は違うからです。
そもそも派と最低限派
私はなにかひとつのことを教えようとする場合、「そもそも」の話をすることが多いです。
(そもそも:最初から・物事の初め、起こり)
「そもそも」この作業はなんのためにするのか。どういった意味があるのか。
「そもそも」なぜ学ぶ必要があるのか。
そもそもの使い方あってますよね?
でも、その「そもそも」の話すら通じないことがあります。私と相手で持っている知識量が違う・当たり前が違うからです。そうなると、自分と相手で共通するところを探さなければいけません。
こういった訳で、私の説明は長ったらしくて野暮ったくなりがちです。簡潔な説明を求める人からすると、「もういいから本題に入ってよ!」となります。
一方で、必要最低限しか説明しない人もいます。ある程度背景が同じ人(長年同じ職場で働いている人同士など)であればスピーディでいいんだと思います。
きっと、最低限の説明派の人は、「とにかく作業を覚えてくれ。理由は後から分かればいいから」という気持ちだと思います。教える側、教わる側が同じ認識でいれば問題ないのですが、最低限の説明派とそもそもから話す派の組み合わせになると問題が勃発しそうですよね。
私はそもそも派なので、「なぜ?」「意味は?」「するとどうなるの?」が頭の中でぐるぐるしてしまいます。ある程度説明してもらったほうが、形だけでも納得できて作業に取りかかれるのです。なので、最低限派の人にあれこれ質問して、「いいから手を動かしてくれ!」と言われるか、嫌な顔をされることが多いです。笑
教えられ上手を目指す
「教えること」はなかなか上手になりません。場数を踏む必要がありますから、「教える」をたっぷり練習できるのは教師ぐらいではないでしょうか。
ですから、「教えられ」上手を目指しましょう。
私はそもそも派か?最低限派か? そして相手はそもそも派か?最低限派か?
私と相手の組み合わせはどうだろうか?
自分がそもそも派で相手が最低限派ならば、あれこれ疑問を感じるよりも、まずは言われたことをマスターしていくことを重視する、と意識したほうがいいです。ある程度作業ができるようになったら、ぽつぽつと質問していくといいです。たくさん浮かんだ疑問はノートに書いておきましょう。
自分が最低限派で相手がそもそも派ならば、しっかり返事をすることを意識するといいです。「~ということであってますか?」みたいに返事すると、相手も「ここまでは理解しているな」と理解してもらえるため、少し説明が減少します。笑 あんまり嫌な顔をすると傷つくのでポーカーフェイスを貫いてもらえると嬉しいです。
人と人との相性って難しいですから、仕事の場面では感情とは別の場所で考えると、気が楽になります。感情で「いやだな」「合わないな」と考えてしまうとつらいので、理屈で「なぜ合わないか」「それはタイプが違うためだ」と考えるといいです。
今。新しいことを習っているので、これまでの経験をまとめてみました。